2014年 01月 06日
母の四十九日 |
昨年10月イタリアに住む次女の所に女の子が誕生しました。帰国して日本で出産予定でしたがあまりにも胎児が大きくなって長時間の飛行が不安になりイタリアで出産することに・・・・
産後の手伝いに10月末からイタリアに行ってきました。育児も昔とあれこれ違っていて、ましてやイタリア。産湯などもなくへその緒が落ちるまでお風呂を使わせません。買い物・食事作りに専念しましたがスーパーでの買い物も慣れるまで一苦労。授乳はじめ何もかも初めてで戸惑う次女を残しての帰国は後ろ髪をひかれましたが予定を早めて帰国することになりました。
というのも昨年の5月末から自宅で母の介護をしていました。今考えるとかなりの痛みを我慢していたのだと思うのですがその時は腰痛の訴えで整形外科に行くこととディサービスで少しでも足腰を弱らせないといったことに頑張っていたのです。不思議に痛みも遠のいていき痛み止めの薬とシップを貼ることも無くなっていきました。数回エコーの検査もしていたのに何も異常はないと言われわからなかったのです。
イタリアに行くということで留守になるので施設なども見学してディサービスとショートステイをケアマネージャーさんと相談して組み立てたのが10月。韓国から長女も帰ってくれて留守の間フォローを。
母はもちろん主人や私の常備薬を病院で処方してもらったりイタリアの準備など本当に目の回るような10月でした。母は昼寝が嫌いでベッドに横になるということがない人でしたがイタリア出発の数日前くらいから、ちょっと横になるわ・・といった様子が見られました。
いま考えるとかなりしんどかったのかなと思います。
イタリア出発前日大きなバッグをみて「大変だね!」と心配までしてくれて・・・「帰ってくるまで元気でいてよ!」と声かけた私。今思うとどうしてあんな言葉になったんだろうか?と思います。
イタリアでの慣れない台所となれない食材で悪戦苦闘しながらも留守を任せた長女とスカイプで連絡をとりあっていました。だんだん食欲が落ちてきた母も2回目のショートステイの時、常駐の医師からどうも肝臓の数値がおかしいということで入院となりました。
検査の結果膵臓癌が発覚。肝臓にも転移だなんて・・・・ショックで涙が止まりません。
2歳前の子供を連れて病院に通ってくれた長女にも感謝。イタリアの次女も心配でしたがこれは少しでも早く日本に帰らねば!!と帰国を前倒ししました。
その判断が本当にはやくてよかった結果に!
11月13日に関空につきその足で病院に。母は苦しい中私がいつ帰るのかと心待ちにしてくれていたみたいで産後の面倒を「大役が済んでよかったね」と一言。黄疸がでたら1週間位ですと医師からの言葉に唖然。まさかまさか・・・・最後はアイスクリームしか食べられなくなり私たちが帰国して6日という信じられない速さで逝ってしまいました。
でも最期もちゃんと看取れ体の清拭もさせてもらいました。
いくら年老いても母は母 父は平成4年になくなっていたので両親を亡くすということがこれほどさみしいものとは・・・ぽっかりと胸に穴があいたような感じです。
母の助言をもらって種まきしたスナップエンドウ、成長をとても楽しみにしてた母。今では花も少しついています。何とか母の事思うと5月頃収穫できるまで頑張って育てたいと思っています。
昨日無事四十九日を終えて納骨できました。やはり寂しいですね。でも父と仲が良かったからお墓の中で二人一緒に並んでよかったねと心の中で声をかけました。
最後まで弱音を吐かず頑張りとおした母を思うとグータラしている私は自己嫌悪に陥りますが主人が言うように少し時間が必要なのかもしれません。
ブログを書いていて本当に少しづつですが頑張っていこうと前向きになれたような気がします。長文にお付き合い下さりありがとうございました。
産後の手伝いに10月末からイタリアに行ってきました。育児も昔とあれこれ違っていて、ましてやイタリア。産湯などもなくへその緒が落ちるまでお風呂を使わせません。買い物・食事作りに専念しましたがスーパーでの買い物も慣れるまで一苦労。授乳はじめ何もかも初めてで戸惑う次女を残しての帰国は後ろ髪をひかれましたが予定を早めて帰国することになりました。
というのも昨年の5月末から自宅で母の介護をしていました。今考えるとかなりの痛みを我慢していたのだと思うのですがその時は腰痛の訴えで整形外科に行くこととディサービスで少しでも足腰を弱らせないといったことに頑張っていたのです。不思議に痛みも遠のいていき痛み止めの薬とシップを貼ることも無くなっていきました。数回エコーの検査もしていたのに何も異常はないと言われわからなかったのです。
イタリアに行くということで留守になるので施設なども見学してディサービスとショートステイをケアマネージャーさんと相談して組み立てたのが10月。韓国から長女も帰ってくれて留守の間フォローを。
母はもちろん主人や私の常備薬を病院で処方してもらったりイタリアの準備など本当に目の回るような10月でした。母は昼寝が嫌いでベッドに横になるということがない人でしたがイタリア出発の数日前くらいから、ちょっと横になるわ・・といった様子が見られました。
いま考えるとかなりしんどかったのかなと思います。
イタリア出発前日大きなバッグをみて「大変だね!」と心配までしてくれて・・・「帰ってくるまで元気でいてよ!」と声かけた私。今思うとどうしてあんな言葉になったんだろうか?と思います。
イタリアでの慣れない台所となれない食材で悪戦苦闘しながらも留守を任せた長女とスカイプで連絡をとりあっていました。だんだん食欲が落ちてきた母も2回目のショートステイの時、常駐の医師からどうも肝臓の数値がおかしいということで入院となりました。
検査の結果膵臓癌が発覚。肝臓にも転移だなんて・・・・ショックで涙が止まりません。
2歳前の子供を連れて病院に通ってくれた長女にも感謝。イタリアの次女も心配でしたがこれは少しでも早く日本に帰らねば!!と帰国を前倒ししました。
その判断が本当にはやくてよかった結果に!
11月13日に関空につきその足で病院に。母は苦しい中私がいつ帰るのかと心待ちにしてくれていたみたいで産後の面倒を「大役が済んでよかったね」と一言。黄疸がでたら1週間位ですと医師からの言葉に唖然。まさかまさか・・・・最後はアイスクリームしか食べられなくなり私たちが帰国して6日という信じられない速さで逝ってしまいました。
でも最期もちゃんと看取れ体の清拭もさせてもらいました。
いくら年老いても母は母 父は平成4年になくなっていたので両親を亡くすということがこれほどさみしいものとは・・・ぽっかりと胸に穴があいたような感じです。
母の助言をもらって種まきしたスナップエンドウ、成長をとても楽しみにしてた母。今では花も少しついています。何とか母の事思うと5月頃収穫できるまで頑張って育てたいと思っています。
昨日無事四十九日を終えて納骨できました。やはり寂しいですね。でも父と仲が良かったからお墓の中で二人一緒に並んでよかったねと心の中で声をかけました。
最後まで弱音を吐かず頑張りとおした母を思うとグータラしている私は自己嫌悪に陥りますが主人が言うように少し時間が必要なのかもしれません。
ブログを書いていて本当に少しづつですが頑張っていこうと前向きになれたような気がします。長文にお付き合い下さりありがとうございました。
by mayamaya_1k
| 2014-01-06 10:56